ネクオロでした
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零の使い魔。~聖十字の騎士~ 第十五話
2009-08-08 Sat 18:41

会いに行くよ、ヤ―――馬に乗って。無理なら徒歩で。


やめてください。期待しちゃうじゃないですか……。


 ……よし、これで良いだろう。
 マルトーさんから貰った大釜を見つめ、満足げに数回頷く。
 古いレンガを積み上げ、その上に大釜を置いただけの粗末な五右衛門風呂だが、製作に半日もかかれば誰だって愛情の一つくらい湧くだろう。
 湯船に張る水は近くの噴水から確保することにした。
 往復すること数十回、かなりの重労働だったが、タバサに日本文化を教える為に頑張った。
 ……というのは建前で、自分が入りたいというのが主な原動力だったりする。
 一応、魔法学院専門学校には平民用の風呂もあるにはある。
 だけど、あれは日本でいうところの“サウナ”に限りなく近い代物だ。
 石を敷き詰めた暖炉の隣で忍耐強さを競い、我慢出来なくなったら外に飛び出して水で体を冷やして洗い、終了。
 あるびおんから戻って来るまではあそこを使っていたが、正直限界が近かった。
 俺だって日本人だ。風呂はやっぱり、たっぷりのお湯に鼻歌など口ずさみながら浸かるものだと思う。
 ドイツはてっきりシャワーが主流かと思っていたが、まさかサウナがここまで民間に浸透しているとは。
 一番驚かされたのは、お風呂に入るには貴族になる必要がある、という点だ。
 学院に用意されている風呂は大きくて豪華な、まるで天国のような場所らしい。
 しかし、俺はそれに入ることが出来ない。
 理由は単純明快。俺が貴族じゃないからである。
 何という格差社会。この手の扱いにもだいぶ慣れてはきたが、良くも悪くも平等な日本が恋しくなる瞬間だった。
 頭を左右に振り、雑念を吹き飛ばす。
 風呂はまだ無理だけど、食事は貴族の豪華な物をルイズに分けて貰っているじゃないか。
 心優しい彼女の行いに感謝こそすれ、何を嘆くことがある。
 レンガ製の釜戸に薪を放り込み、火打石で火を点ける。
 たったこれだけの作業に一時間近くかかった俺は、典型的な現代人なのだろう。
 真面目に、キュルケに頼みに行こうか悩んでいた自分が情けない。
「相棒」
「……何だ?」
 壁に立て掛けてあるデルフが声をかけてきた。
 この剣には相手の特殊攻撃(風、炎、雷など)を吸収する素敵な機能が装備されている。
 俺がシシャクの悪霊に取り殺されなかったのは、衛星チートとデルフの特殊効果のお陰だった。
「いんや、だいぶ時間がかかりそうだなーと思ってね」
「……ああ。想定外だ」
 薪の量を少しずつ増やしてはいるが、大釜一杯に入った水を沸かそうとしているのだ。
 このペースで行けば、あと一時間は入浴を我慢しないといけないだろう。
 やはりキュルケに……い、いや、それはダメだ。
 恩人である彼女を、チャッカ○ン代わりに呼び付けることなど出来る筈がない。
 ここは大人しく、小一時間火の番をするしかないか……。
 そう、諦めかけていた時だった。
「ダンケ……さん?」
「……シエスタ」
 振り向けば、きょとんとした顔をしているメイド服の少女が立っていた。
 手にはいつもの洗濯籠が一つ。
 中には取り込まれた洗濯物が山になっている。
 空を仰げば、茜色の空が広がっていた。
 風呂を用意し始めた時は、まだ天には太陽が浮かんでいた……と思う。
 よほど集中していたのか、時間の流れが異様に早く感じられた。
「何をなさっているんですか?」
 俺の顔と大釜を交互に眺め、シエスタが小首を傾げる。
 五右衛門風呂は日本の伝統。ドイツ生まれの彼女が知らないのも当然といえた。
 これが風呂だと説明すると、シエスタは目を丸くして驚いた。
 使わなくなった鍋を利用して風呂にしようなど、普通は思わないもんなぁ。
 そもそも、五右衛門風呂の由来は彼の科せられたという“釜茹での刑”から来ている……らしい。
 それは俗説という話だが、人様が処刑された方法で汗を流そうと考えた日本人はある意味すごいと思った。
 あの鍋の形は熱伝導率に優れているらしく、風呂としては正に理想的らしいのだが。
 ……あ、さっきから「らしい」とか推測文ばかりですみません。何分、学が浅いものですから。
 誰に謝っているのか、胸中でヘコヘコと頭を下げる俺。
 いつまでも黙ったままで居る俺を、シエスタは不思議そうに見つめていた。
「……風呂を沸かそうと思ったが……この様だ」
 視線でパチパチと音を立てる釜戸を指し示す。
 その火は今すぐに消えそうなほど弱々しい。
 室内じゃガスがあったし、外に出たとしても固形燃料を使うのが当たり前だった。
 効率の良い火の起こし方など知る由もなく、人の無力さを痛感している最中なのだ。
「―――ふふっ」
 ……笑われた!?
 シエスタは口元に手をあて、クスクスと笑っている。
 うわー、こいつ、いい年して火一つまともに起こすことが出来ないとか……ないわぁ。
 みたいな、そんな感じでしょうか?
 シエスタは優しい子だから人を馬鹿にしたりすることはないと思う。
 ないと思うが、限界を突き抜けて笑いが漏れてしまった、という可能性は大いに在り得た。
 俺が胸中で多大なショックを受けているのに気付いたのだろう。
 メイド姿の少女は胸の前で手をパタパタと振ると、慌てたように言った。
「す、すみません! ただ、ダンケさんにも出来ないことがあるんだなーとか思ったら、何だかおかしくなっちゃって……本当にすみません!」
「……いや。気にしないでいい」
 出来ないことだらけの俺にとっちゃあ、そのフォローの仕方は地味に効くぜ。
 おかしくなっちゃってとか本音が駄々漏れですよ、シエスタさん。
 言動だけでなく、俺はその存在自体がおかしい領域に踏み込んでいたということか。
 胸中で落ち込みつつ、転がっていた薪を釜戸の中に投げ込む。
 中々燃えないなぁ。やっぱり、固形燃料とかないとダメかなぁ。
 ガスコンロで例えるのならば、まだ“弱火”といったところ。
 強火にしても三十分以上かかりそうなのに、弱火でトロトロだと何時間かかるのだろうか?
 火を見つめながら、そんなことを考えていた時だった。
 シエスタが恐る恐るといった様子で声をかけてきた。
「あの……わたしがやりましょうか?」
「……頼む」
 即答した俺をいったい誰が責められるだろうか。


 ヴェストリの広場の片隅に、ダンケの設置した風呂はあった。
 この広場は元々人の往来が少ない為、ここならば誰にも迷惑が掛からないと判断したのだろう。
 浴槽の代わりに使用されている大釜は、彼がマルトーから譲り受けたお古だった。
 魔法学院のコック長・マルトーはダンケの事を大層気に入っている。
 平民でありながらメイジを圧倒する技量もそうだが、内に深い悲しみを抱きながらも前を見て歩いているその男らしい生き様に、昔気質の料理長は惚れ込んでいた。
 でなければ、いくら古くなっていたとは言え、まだ使うことの出来る大釜を無償で譲ったりはしない筈だ。
「薪はただ投げ込んでいるだけじゃダメなんです。太い木は外側に組むようにして、内側に枯れ草や小枝を並べるとよく燃えるんですよ」
 太い薪を積み上げ、開いたスペースに乾燥した小枝を手際良く放り込んで行く。
 その様子を、黒衣の青年はしきりに頷きながら眺めていた。
 表情には全くと言っていいほど表れていないが、どうやら感心しているようだ。
「空気を入れて燃え易くする為に、こうやって隙間をあけておくんです。薪を詰め込み過ぎると、逆に燃え難くなるので注意してくださいね」
 手馴れた様子で火を大きくしていくシエスタ。
 青年が一人で火の番をしていた時は今にも消えそうだったそれは、シエスタの尽力によって今では立派に成長していた。
 この火の勢いならば、そう時間もかからぬ内に風呂の湯は沸くだろう。
「これで大丈夫だと思います。あとは適度に薪を足していってください。あ、入れ過ぎてはダメですよ?」
「……すまん。助かった」
 短く礼を言い、ダンケは大きくなった火を見つめている。
 青年の横顔をそっと眺め、シエスタは人知れず苦笑した。
 もはやこの学院で彼の名を知らぬ平民は居ない。
 最低レベルとは言えメイジを素手で圧倒し、ドットの中でも高位の腕を持つグラモン家の四男をあろうことか食事用のナイフ一本で打ち破った黒衣の使い魔・ダンケ。
 風の噂では、怪盗フーケを捕らえたのもまた彼の手柄だという。
 だからこそ、シエスタは先程うっかり笑いを漏らしてしまったのだ。
 武芸に通じ判断力に優れた彼が、火を起こそうと四苦八苦している姿が可愛らしく映ったから。
 そして、その事実に少女はちょっぴり安心感を抱いていた。
 どんなに完璧に見える人間にも、不得手な物が一つくらいあることが分かった為だ。
 たったそれだけにも関わらず、シエスタは青年との心の距離がぐっと縮まった気がした。
 パチパチと薪木の弾ける音だけが周囲に響く。
 大釜に張られた水は湯へと変わり、夜の帳に包まれた広場の一角に白い煙が立ち昇る。
 大釜を覗き込み、軽く手をかざして湯の温度を確かめると青年はシエスタに向き直った。
「……入っていくか?」
「え―――あ、はい」
 いつものように淡々と問われ、シエスタは彼の言葉を理解する前に頷いていた。
 そうか、とだけ青年は漏らし、予め用意していた黒い布を広げてそれを側の木に結び付ける。
 一方を木に、もう一方を地面に突き立てた棒の先に結び、簡単な仕切りを作るとダンケは言った。
「……どうぞ」


 ウヒョーイ。ウヒョヒョーイ。フフーゥ。うーっ、トマトォッ!
 テンションが妙なのはあれだ……仕様です。
 と言いますか、仕方ないじゃない?
 後ろでシエスタが入浴しているんだよ? 裸だよ? やばいよね。うん、やばい。
 思わず、自分一人で会話を進めてしまうほどやばい状況である。
 正直な所、お年頃の女の子相手に「お風呂にどうぞ」はないだろ、俺。
 もっと予想外だったのは、シエスタがそれに肯定の返事を返したことだ。
 もしかして、俺は彼女に男だと思われていないのか?
 それとも、「お前一人くらい私一人でも余裕で倒せますわ」という意思表示だろうか?
 ……恐らく、後者だな。
 念の為にと用意しておいた黒い布が予想以上に役立っている。
 仮にこれが無かった場合、俺は即行でこの場から逃げ出していたことだろう。
「……ダンケさん」
 水の滴る音に混じって、シエスタの声が聞こえた。
 振り返っても布に遮られて見えないのは分かっている。頭では分かっている。
 分かっているけど、どうしてもそちらに顔を向けるのを戸惑ってしまう。
「まだ……ぬるかったか?」
 火の勢いを増すには薪を投入する必要がある。
 釜戸は布の向こう側なので、俺は赴くことが出来ない。
 目隠しをしてやってみるというのも考えたが、あまりに成功率が低そうなので断念した。
 ほぼ確実に、体の一部を薪代わりにする羽目になる。
 火傷で酷い思いをするのは、あるびおんの一件だけで十分だった。
「い、いえ、そうじゃないんです! 湯加減はちょうど良いですよ。すごく気持ちいいです」
「そいつは……重畳」
 音だけを頼りに、シエスタの反応を窺う。
 こう書くとまるで俺が変態みたいだけど……いや、傍から見れば十二分に変態か。
 入浴している女の子と布一枚隔てた先に居る黒尽くめの男。
 間違いなく警察を呼ばれる構図だった。
 今更だが、俺は「重畳」という言葉をよく使用する。
 意味は「この上なく満足する」というものだったと思う。
 カッコいいからという理由で使い始め、今ではすっかり定着してしまったこの言葉。
 学生だった頃、よくクラスメートに「頂上」と意味を捉え間違われ、結局「……満足」と答えたのも今となってはいい思い出である。
 そういや、その時に付いたあだ名が確か“殿様”だったなぁ。
 余は満足じゃ、とかそういう意味で言っていたわけではないのだが。
「あの……一つだけ訊いてもいいですか?」
 尋ねる声は場違いなほどに真摯なものだった。
 短く「ああ」とだけ答え、少女の発言を待つ。
 ―――こ、告白されるのか!? いよいよ俺もリア充の仲間入りなのか!?
 そう考えてしまうのも已む無しと言える。
 シエスタは可愛いし、優しいし、料理上手いし、洗濯物の腕は俺より上だしと正に完璧な女の子だ。
 彼女に告白され、首を縦に振らない男はそっち系の人だと断言出来る―――それぐらい理想的な少女なのだ。
 だからこそ。
 次に彼女から発せられた言葉は、俺にとってはかなり衝撃的なものだった。
「運命って信じますか?」
「……運命?」
「はい。運命です。生まれた時から予め決められていた事。自分で決断したと思ったことも、実は運命によって最初から決定付けられていたんじゃないかな……って。どれだけ頑張っても、結局はその運命に流されることしか出来ないのなら、いっそのこと諦めて全てを受け入れるのが正しい在り方なんじゃないか―――なんて。す、すみませんでした! 何だか変なこと言い出しちゃって」
 見てはいないが、気配と水音でシエスタが慌てて手を振っているのが分かった。
 それにしても……運命、と来ましたか。
 これはまた、何とも哲学的な話題が出てきたものだ。
 全ての事象が“運命”という訳の分からんものによって決め付けられているのだとしたら、俺がルイズに呼び出されたのもその“運命”ということになる。
 フーケのゴーレムに潰されたのも“運命”だし、シシャクの幽霊にビリビリ攻撃されたのも“運命”、怖いおっさん達に尖った杖を向けられたのも“運命”なわけだ。
 なるほど。それなら仕方ない―――って。
「……冗談じゃない」
「え……っ」
「君は……良いのか? 自分の生き様を……そんな陳腐な言葉で片付けられて。俺は……死んでも願い下げだ」
 自分でも驚くほど、その声音はしっかりとしたものだった。
 あれだけ痛い思いしつつ頑張った時間を、“運命”なんて適当な言葉で処理されて堪るものか!
 頑張ったら報われる。頑張ってなかったから酷い目に遭った。
 こうでも思わなければ、ドイツではやっていけないじゃないか。
 折れそうな心をルイズ達の優しさで補強して、ここまで懸命に生き抜いてきた。
 それを“運命”なんて言われた日には、全てに対してやる気が起きなくなってしまう。
 只でさえ少ない意欲を、これ以上削らないで欲しい。
 “運命”という言葉など、自販機の下に百円玉を落として泣く泣く諦める時だけで十分なのだ。
「……やっぱり、ダンケさんはすごいです。そんな考え、わたしには出来そうもありませんから」
 夜風に乗って流れて来たその呟きは、ひどく寂しげだった。
 シエスタも色んな貴族達に扱き使われて、いよいよこの仕事が嫌になってしまったのかなぁ。
 その気持ちは痛いほど分かる。
 俺の知っている貴族の中に悪い人はほとんど居ないが、どうしようもなく性格の捩れ曲がった奴も何人か居るようだ。
 基本的に貴族は態度が尊大なものだが、必要以上に自分の親の地位をひけらかす馬鹿を俺は何度か目にしたことがあった。
 大抵、その矛先が向かうのはシエスタや俺のように立場の弱い平民達だ。
 彼等はどんなに酷い八つ当たりをされようが、ひたすら謝り倒すことしか出来ない。
 ちょっとでも反抗的な態度を取ってしまえば最後、この学院には居られなくなってしまうからである。
 俺も何度か目付き関係で文句を言われたことがあった。
 その度に心の底から、お願いだから許して欲しいと目で訴えかけたものだ。
 今の所、誠意ある対応が彼等の心にブレーキをかけてくれたのか、俺やルイズに目立った被害はない。やはり、何事も誠意が肝心なのだろう。
「最初からこうだったわけじゃ……ないさ。ある程度経験を積めば……大抵はこうなる」
 数々の痛みを思い出し、人知れず顔を顰める。
 口調にも若干の陰りが滲み出ていたかもしれない……憂鬱的な意味で。
「もう少し早くダンケさんと出会えていたら、わたしもそんな風に考えることが出来たのかなぁ……」
 ……シエスタ。
 どうやらガチで困っているらしい。
 その声は今にも消え入りそうで、蛍の光のように弱々しいものだった。
 出来ることならシエスタには仕事を辞めてもらいたくない。
 彼女はとても頼りになるし、俺が学院で普通に会話出来る数少ない友人の一人なのだ。
 しかし……だからこそ、彼女には幸せになってほしいと切に思う。
 今の仕事を辞め、新たな職に就く事で彼女が幸せになれるというなら俺は応援しよう。彼女の英断を。
「……貴族絡みか」
「―――っ!?」
 バシャッと水飛沫のあがる音がした。
 俺にしては珍しく、シエスタの悩みをピンポイントで当ててしまったようだ。
 やはり、そうだったか。
 どうせこの学院に居る貴族の一人が、彼女に無理な注文をしたのだろう。
 俺のパンツを手もみで洗え、とか強要したに違いない。
 よし―――ぶっ飛ばそう。
 ルイズに迷惑がかからないよう、影でコソコソと動いて地味に精神攻撃を喰らわせてやる。
 いたいけな少女に男の下着を直接洗わせるとか、何と言う非常識な輩だ。
 ヘタレで弱気な俺だけど、友達が困っているのに見捨てるほど白状じゃないぞ。
 作戦としてはアレだ。まずは靴に画鋲を仕込んでだな……。
「……ダンケさん、今までありがとうございました。わたし、貴方と出会えて本当に良かったと思っています。もし、また会うことが出来たら……またこのお風呂に入らせてもらってもいいですか?」
「……ああ」
 シエスタの覚悟は既に決まっているようだ。
 学院にはシエスタも思い入れがあるのだろう。
 今にも泣き出しそうな彼女の声を耳にしていながら、俺は頷くことしか出来なかった。
 お風呂から上がったシエスタが衣服を身に付け、覗き防止用の布から出て来る。
 湯上りで頬が上気した少女は、その潤んだ双眸も相まって二つの月すら霞むほど綺麗だった。
 ぺこりと頭を下げ、シエスタは俯くようにして俺に背を向ける。
 このままお別れというのはあまりに酷だった。
 何か掛ける言葉はないか検索し、この場で一番妥当だと思われるものを口にする。
「心配……するな。近い内に……会いに行く」
 故郷の村に帰るという線が一番濃厚だろう。
 彼女の生まれ故郷は確か……タ……タ……タルタル村……だったか?
 一度聞いただけの名前なので、いまいち自信がない。
 葡萄の栽培が盛んで、ワインが美味しいという話はしっかりと覚えているんだけど。
 食べ物に関することだけ覚えているとか……いやらしい。いやらしいな俺。
 途中で迷子になるわけにはいかないし、もう一度確認しておいた方がいいだろう。
 そう判断し、口を開こうと身構える。
 だが、それよりも一瞬早く、シエスタは搾り出すように言った。
「そんなこと……言わないでください。期待しちゃうじゃないですか……。信じちゃうじゃないですか……」
 布の隙間から差し込む火の明かりに照らされたシエスタの肩は震えていた。
 泣いて……いるのか?
 そこまで……そこまでここの暮らしを大切に思っていたのか、彼女は。
 俺が彼女の村に行くだけでその寂しさが少しでも和らぐというのなら、喜んで遊びに行くよ。
 会いに行くよ、ヤッ○ル―――じゃなくて、馬に乗って。
 俺が乗っても振り落としたりしない、気性の穏やかな馬に乗って。
「……行くさ、必ずな」
「―――っ! さようなら!」
 振り向くことなく、シエスタは走り去った。
 泣き顔を見せたくないという心理は、何も男だけに働くものじゃないということか。
 マルトーさんの手料理を持って、必ず君の村まで会いに行く。
 だから、落ち込むことなく新しい職を見付けて頑張ってほしい。
 大丈夫さ、君の腕なら大抵の所で雇ってくれる筈だから。
 建物の中に消えて行く背を見送り、くるりと振り返る。
 視線の先には、シエスタの入った五右衛門風呂が置いてある。
 ……タバサをお風呂に招待するのは明日にしよう。
 やっぱり、彼女には一番風呂を体験させてあげたい。
 というわけで―――二番風呂に行ってきますね。


「泣かないって決めたのになぁ……」
 後ろ手に扉を閉め、シエスタは弱々しい笑顔を浮かべた。
 簡素な木製の床板に、涙の滴がいくつか吸い込まれていく。
 狭いながらも綺麗に掃除された部屋の中央には、鞄が一つ置いてあった。
 この鞄の中には彼女の身の回りの品などが入っている。
 これを持って彼女は明日の早朝、魔法学院から出て行かなければいけなかった。
 トリステインの貴族―――ジュール・ド・モット伯。
 女好きとして有名な彼は仕事で学院を訪れた際、メイドとして働くシエスタに目を付けていたのだ。
 トリステイン貴族の中でもそれなりに力を持つ彼の発言に学院が逆らえる筈もなく、少女はモット伯付きのメイドとなることを受け入れざるを得なかった。
 平民は貴族の一存でその人生が左右される。
 そのことは、貴族の子弟が通う魔法学院で働くシエスタも嫌というほど知っていた。
 実際、彼女の知り合いのメイドも貴族に買い取られ、学院を去って行った。
 いつか自分もこのような日が来るのではないかと思っていた。覚悟は出来ていた……つもりだった。
 だったらどうして、こんなにも涙が溢れてくるのだろう?
 ―――彼は言った。
 自分の生き様を“運命”等という陳腐な言葉で片付けられるのだけは、死んでも嫌だと。
 平民の自分は貴族に従うしかない。
 これは最初から定められた運命だったのだ。
 そう自分に言い聞かせていたシエスタは、あの青年の言葉に強い衝撃を受けた。
 彼―――ダンケと自分はあまりに違う。
 貴族に怯え、魔法を恐れる彼女と違って、青年はどれだけ身分の高い者が相手であろうと自分の意思を貫き通す。
 もしも……在り得ない話だが、彼ともっと早く出会っていれば、自分も今とは違った生き方を選べたのかもしれない。
 最近のルイズの姿を見ていると、シエスタはそう思えてならなかった。
 あの青年を召喚して以来、彼の主となった少女は日に日に変わり続けている。
 彼女だけじゃない。
 ダンケの周りに集まる者達は皆、少しずつだが以前とは違った自分を見出し始めている、そんな気がするのだ。
 そして、それはシエスタ自身にも当て嵌まる。
 貴族を怖いと思うのは相変わらずだったが、全ての貴族を盲目的に恐れることはなくなった。
 少なくとも、ダンケと一緒に居る貴族は自分に対してもそれなりに友好的に接してくれる。
 廊下で擦れ違えば挨拶を交わし、一介のメイドに過ぎない自分の名前を覚えていて呼んでくれる。
 これは、以前の暮らしでは考えられなかった点の一つだ。
 常識などいとも容易く覆すことが出来る、それをあの青年は体を張って教えてくれた。
 ……だからこそ。
 だからこそ、期待してしまうのだ。
―――心配……するな。近い内に……会いに行く。
 ダンケはそう言った。
 モット伯の元で仕えることになれば、そう簡単に外に出歩くことは出来なくなるだろう。
 彼の嫌な噂はここまで届いている。
 あのモット伯が見知らぬ平民の男を、自分付きのメイドにすんなり会わせるとは思わないが……。
 そもそも、あの屋敷で働くようになった後、いったいどんな顔をして青年と会えばいいのだろうか。
 手の甲で涙を拭い、力のない笑みを口元に浮かべる。
 この学院での最後の思い出としては十分だろう。
 短い時間ではあったが、彼と喋ることが出来た。
 昨日まで青年は主と共にどこかへ出掛けていたのだから、最後の最後に彼と出会えただけで自分は運の良い方なのだ。
「もう寝ようっと。明日は早起きしないとダメだもの」
 何かを振り切るようにそう口にし、少女は身に着けていたメイド服を脱いでベッドに潜り込む。
 これからのことを考えると、震えが止まらなくなる。
 溢れて来る涙を拭うのも忘れ、シエスタは枕に顔を埋めると嗚咽を漏らし続けるのだった。

 翌日。
 シエスタはモット伯の従者に連れられ、魔法学院をあとにする。
 一晩中涙を流し続けただろうか?
 その瞳はいつもよりも若干赤くなっていたという―――。



別窓 | 零の使い魔。 ~聖十字の騎士~ | コメント:3 | トラックバック:0
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この記事のコメント
久しぶりの零の使い魔更新!!
タバサ達がお風呂に入る前にこの様な出来事があったとは……。
ジュール・ド・モットの登場から、流れからしてアニメ版の話になりますね。ダンケは果たしてどの様にしてシエスタの元に向かう事になるのか、次回が楽しみです。
ダンケはジュールにどんな誤解を与えるのやら……。
2009-08-08 Sat 21:38 | URL | ベリウス #VSnRaRv6[ 内容変更]
更新お疲れ様です。
タルタル村に吹いてしまった。あいかわらずダンケが面白いです。
モット伯のエピソードが入るとなると、タバサ風呂は次回いや次々回へと持ち越しか!?タバサ風呂が楽しみで仕方ない。
そして、デルフの影が薄すぎる。空気を読める子なのか。
やはりモット伯は勘違いしてしまうのか。マルトー製お弁当装備ピクニック気分ダンテがモット邸でやらかしてしまうのか!?先が楽しみです。
2009-08-09 Sun 15:45 | URL | 目る目る #Qi8cNrCA[ 内容変更]
No title
更新お疲れ様です。
ちなみに五右衛門風呂ですが底に板を置く必要があります。
底は鉄なんですから、そうしなければ熱くて入れません。
2009-08-09 Sun 15:57 | URL | alt #yUrep2f2[ 内容変更]
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