ネクオロでした
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リリ勘。シグナム編。その四。
2010-04-10 Sat 21:04
その四です。
 
リリ勘。その四。

 銀の光沢を放つ体躯。怒りと憎しみの入り混じった瞳が、自分達の領域へと踏み込んだ哀れな侵入者を見据えている。
 探査の網に掛かった微かな反応は、この異形のものだったようだ。
 どこかの魔導士が生み出した魔導兵器か、もしくは別の世界で独自の新化を遂げた生命体か。
 どちらにせよ、向こうが敵意を示している以上、野放しには出来ない。
 プレートメイルのように磨き上げられた鋼の肉体を持ち、己が力を誇示するかのように体中に鎖を巻き付けているその異形は、切っ先が二又に分かれている大剣を手に低い唸り声をあげた。
 本来、耳がある位置に生えているのは捩れ曲がった一対の角、白く濁った瞳は狂気を纏って自分達を真っ直ぐ見詰めている。
 あの体躯、そして剣を手にしていることから推測するに、あの異形は近接戦闘に特化したタイプなのだろう。
 それならば、剣の騎士たる自分が適任だ。
 首に掛けた剣の装飾を握り締める。
「いくぞ、レヴァンティン」
「―――ja.」
 ラベンダー色の魔力光がシグナムの体を包み込む。
 ミニチュアされた剣の装飾が長剣に変化した時、彼女は凛々しい騎士の姿に変貌していた。
 赤のインナー、白のジャケット。黄色のリボンに纏められた桃色の長髪が、緩やかに魔力の残滓に靡いている。
 それと同時に、簡易的な結界を周囲に展開。これでこの公園に誰も立ち入ることは出来ず、また術者である自分が魔法を解かない限りは奴等が外に解き放たれることもない。
「竹中大樹、お前は調子が悪いのだろう? 奴の相手は私がやる。お前はそこで見ているといい」
 口元に緩やかな弧を描き、シグナムは己が信頼する得物を手に大地を蹴った。
 青年は動かない。俯いたまま、何も語らずにそこに立っている。
 それに疑問を感じる暇もなく、シグナムは謎の異形と物理的な出会いを果たしていた。
 二つの剣が接触し火花を散らす。
 シグナムは手数の多さで、異形はその膂力から繰り出される一撃で。
 互いの命を奪わんと鋼の輪舞を繰り返す。
「ガァァ……ッ!」
「中らない攻撃に意味は無い。膂力だけでこの私に勝てると思うな!」
 上段から振り下ろされた切っ先を左手に握った炎の魔剣の鞘で逸らす。
 返す刃の一撃が、異形の胸に深い裂傷を刻み込んだ。
 緑色の体液を撒き散らし、苦悶の声をあげるバケモノ。
 常人ならば耳にしただけで卒倒してもおかしくないその咆哮を軽く眉を顰める程度で受け流し、音すら切り裂けと云わんばかりにシグナムは剣速を引き上げていく。
 音の領域に達した切っ先は、異形の動体視力を以ってしても捉えること叶わない。
 避けることも受けることも出来ず、縦横無尽に奔る鋼の舞を前にバケモノは只管に無力であった。
 一際高い金属音を響かせ、異形の手から二又の大剣が弾け飛ぶ。
 最大の武器を失ったバケモノは悔しげに低い唸り声をあげた後、ゴツゴツした岩の如き拳を振り上げ猛然と剣の騎士に襲い掛かった。
「武器を失って尚、挑むか。その根性だけは認めよう。だが―――遅いっ!」
 左手に握った鞘が異形の脇腹を打ち据える。
 激痛が神経を掻き乱し、敵は堪らず片膝を着いた。
 主の意思を汲み取り、レーヴァティンがカートリッジをリロードする。
 空になったカートリッジが排出され、圧縮された魔力の余剰分が白い蒸気となって吐き出された。
「―――っ!?」
 刹那、新たに発現した微弱な魔力反応。
 前方の敵から意識を逸らさぬまま、横目で魔力の反応を追う。
 歪む空間から弾き出されるようにして姿を見せたのは、ヒトによく似た特徴を持つ別種の異形だった。
 左腕に装備している武装は質量兵器だろうか?
 体の要所に魔導機関が用いられているようだが、鎖の巻き付いた腰部及び背部の兵装からは魔力の気配が一切感じられない。
 それがシグナムには異様なくらい不気味なモノとして映った。
 新たに出現したバケモノはシグナムに目もくれず、立ち尽くす青年へと向かっていく。
 彼の技量ならばあの程度の化生、どうとでもなるだろうが……何だろうか、この胸騒ぎは。
 この後、シグナムは己が見通しの甘さを痛いほど実感することになる。
「レヴァンティン! この一撃でケリを着けるぞ!」
「―――jawohl !」
 カートリッジによって供給された魔力がレヴァンティンに更なる威力を上乗せする。
 彼女と魔剣の持つ資質が烈火を刀身に纏わせた。
 局所的に発生した陽炎が炎の騎士と異形の姿を歪める中、強固なデバイスすら両断する必殺剣がついに解き放たれる。
「―――紫電一閃ッ!」
 その名の通り、紫電の速度で放たれる炎の斬撃がバケモノの体を切り裂いた。
 緑の血飛沫をあげ、倒れ伏す異形。
 その体が青白い炎に包まれて灰化していく様を一瞥し、戦況を窺おうとシグナムは視線を走らせる。
 視界の先で、青年は彼女の知らないデバイスを自分の腹部に押し当てていた。
 シグナムの知る大樹のデバイス―――“ガルウイング”の待機状態は灰色の宝玉の筈だ。
 ところが、今の彼はカードケースのような物体を手にしている。
「―――変身っ!」
 バックルとなったデバイスから半透明のフィールドが前方に射出される。
 それを通過した時、青年は仮面の戦士へと変化を遂げていた。
 翠の複眼。白銀の装甲。紅の強化服。そして―――ホルスターに収納された短銃。
 その全てが、シグナムが“闇の書事件”の際に対峙した大樹の姿と異なっていた。
 後者が“速さ”を極限まで突き詰めた流線型のフォルムをしているのに対し、前者は無骨な―――それこそ、ただ頑強さだけを求めた全身鎧を連想させる。
 しかもどうやら、BJのように魔力を編み込んで構築されているわけでもなく、あのフィールドを潜り抜けることで実在する鎧を転送して直接着込んでいるようだ。
 BJ(バリアジャケット)と騎士甲冑。呼称こそ異なるものの、この二つは全く同じものである。
 古代ベルカ時代に既に存在していたBJ。だが、それを眼前の青年は使用していない。
 使い勝手は明らかにBJの方が上だろう。破損しても再構築すれば済むBJと比べ、実際の鎧は一から修繕しないといけないのだから。
 重量にも雲泥の差がある。元が魔力のBJの方が金属鎧よりも遙かに軽量で、尚且つ頑強だからこそ数百年の年月が経った今でも使用され続けているのだ。
 では何故、そんな“旧式”の装備を青年が身に纏っているのか―――?
「……それが本来の姿ということか。竹中大樹、お前はいったい……」
 不老不死の魔導生命体。
 シグナムの持つ彼の情報など精々がその程度のものだ。
 彼がいったい何時何処で産まれ、どのような道を歩んで来たか。
 それは、ヴォルケンリッターの中で最も青年と親しいヴィータですら知らない情報であった。
 変身を遂げた大樹が真っ向から異形―――アンノウンと対峙する。
 バケモノの左腕が掲げられ、黒光りする銃口が射抜くように青年に突きつけられた。
 反射的に、右腰のホルスターに手を伸ばす大樹。
 照準から射撃へ移行する際に若干の間が必要なのか、アンノウンは銃を構えた状態で静止している。
 先制攻撃を加えるなら、今が絶好の機会だ。
 だがしかし―――。
「何故だ!? どうして撃たない!」
 大樹は銃に手を伸ばしていながら、それを構えようとしなかった。
 迷うように、躊躇うように。
 銃のグリップを握った体勢のまま、蛇に睨まれた蛙のように固まっている。
 その隙を見逃すほど、敵は甘くない。
 蜂の羽音のような音と共に、アンノウンの掲げた銃口から無数の弾丸が吐き出される。
 迫る鋼の殺意を前にした青年は、一歩も動くことなく甘んじて弾幕の雨を受け入れた。
 胸部装甲が火花を散らし、金属のひしゃげる耳障りな音を引き連れて大樹が吹き飛ぶ。
 装甲がダメージをある程度軽減させたのか、ふら付きながらも青年は立ち上がった。
 でも、あれではダメだ。
 今のあの男からは何故か闘志が全く感じられないのである。
 戦うことを戸惑っているのか? だとしてもその理由が判らない。
 焦るシグナムの耳に、再び不気味な蜂の羽音が届いた。
「―――竹中大樹っ! 何をしている! そのバケモノと戦え!」
「が……はぁ……っ」
 彼女の警告も虚しく、避けることも耐えることもせず弾丸の洗礼を受ける大樹。
 それはあたかも、罰を自ら進んで受け入れる罪人のようで……。
 空気の抜けたボールのように地面を低くバウンドして、青年は動かなくなった。
 連続して銃撃を浴びた胸の装甲が砕け、そこから赤い命が流れ出ている。
 彼が何を思ってこんな行動に出たかは判らないが、このまま黙って見ていることなど出来はしない。
「はあぁぁぁ―――っ!」
 レーヴァティンを構え、上段から斬り掛かる。
 この異形はシグナムが最初に倒した個体と違い、近接用の兵装を備えてはいないようだ。
 銃器と一体化した左腕で辛うじて凌ぐものの、大きく体勢を崩している。
 背に巨大なコンテナを担いでいるのも影響しているのだろう。
 一度体勢を崩した異形は、コンテナの重量を支えるので手一杯になっている。
 ―――この勝機を逃すシグナムではない。
 レーヴァティンが再びカートリッジをロードする。
 魔剣の刀身に魔力が収束していく。
 極限まで高まったそれを裂帛の気合と共に叩き付けんとした刹那、バケモノが動いた。
「紫電一閃―――っ!?」
 異形の体を容易く両断する筈の一撃は、あろうことかその右腕によって防がれた。
 刃が二の腕に深く喰い込み、緑色の血液が滴り落ちる。
 だが、それまでだ。収束していた魔力は霧散し、炎を宿した魔剣は只の剣へ堕ちる。
 強靭な筋繊維はそれ自体が万力と化し、彼女が剣を引き抜くのを阻害していた。
 更に、鎖が意思を持っているかのように絡み付き、剣の騎士の体をきつく縛り付ける。
 マスクで口元が覆われているのにも関わらず、シグナムにはこの異形がニヤリと嗤ったのがはっきりと判った。
(魔力が吸収され―――いや、術式に強制介入したのか!?)
 見れば、バケモノの腰部に装備された機械が淡く光を放っている。
 あの装置が紫電一閃を打ち消したとでも云うのだろうか。
 只一つ判っていること、それは。
 無言のまま、異形がシグナムに銃口を突き付ける。
(クッ、これもただの鎖ではないということか……!)
 それが普通の鎖だったなら、紙紐のように引き千切ることが出来ただろう。
 何か特殊な素材を使用しているのか、彼女を束縛する鎖はどれだけ力を込めてもビクともしない。
 依然として謎の装置は作動している。
 あの機械を何とかしない限り、こちらの魔法攻撃は通じないと見るべきだ。
 騎士甲冑が解除されていないことが唯一の救いか。
 随分と近くなった蜂の羽音がシグナムの耳朶を打つ。
 もとより、無傷で勝利を得ようなどと思ったことは一度もない。
 身動きが取れぬのならば、この攻撃を耐え凌ぎ、敵が油断したところで渾身の一太刀を見舞いする。それだけだ。
 覚悟を決め、刹那より短い隙を突くべく意識を研ぎ澄ませる。
 その時だった。
「うわああああああああああっ!!」
 ―――咆哮。
 それと同時に、途切れることなく発砲音が鳴り響いた。
 剣の騎士を拘束していた鎖が、数十発の銃弾を受けて根元から千切れ飛ぶ。
 蹴りを放った勢いで剣を引き抜き、後ろに飛び退いて距離を開けるとシグナムは息を整えた。
 自分を助けてくれた人物に礼を言おうと首を動かした直後、彼女の眼前を赤い人影が猛然と駆け抜けていく。
「竹中大樹、いったい何をするつもりだ!」
「ああああああっ!」
 青年は応えない。
 獣のような叫び声をあげ、手にした銃を乱射しながらバケモノへ突撃していく。
 兵法も技術もない、素人同然の殴り合いに持ち込む大樹だったが、肉体スペックの違いからか腕の一振りで弾き飛ばされてしまう。
「おぁっ!?」
 受身を取ることも出来ず、青年が地面を転がる。傷口から溢れた血が地面に赤い線を引いた。
 何かを否定するように拳を大地に叩き付け、大樹は弾丸の雨の中を再び駆け抜けていく。
 剥がれ落ちた装甲が宙を舞い、夕日に照らされ赤く燃えていた。
「クッ、何を焦っている竹中大樹!」
 何かに憑かれたように真正面から突っ込んで行く青年を見兼ね、シグナムが援護しようと足を踏み出す。
 それを遮ったのは、苦戦の真っ只中に居る大樹だった。
「手を出すな! この決着は俺が着けるっ!」
 差し出された手を払い抜け、青年は走る。
 銃撃を物ともせずに敵の懐に入り込み、その頑強な胸板に拳を何度も叩き付ける。
 手甲が砕け、肉が裂け、血飛沫が舞う。
 拳を振るう度に赤い雨を撒き散らしながらも、大樹は決して攻撃を止めようとはしなかった。
 まるで―――そう、まるで。
 ここで手を止めてしまうと、弱さを出してしまうと、哀しみに押し潰されてしまうことを知っているかのように。
「うあああああああっ!」
 槍のように突き出された砲身をかわし、大樹が敵の頭上を飛び越えながらトリガーを引き続ける。
 吐き出された銃弾が異形の肉体と接触し、無数の火花が散った。
「ァァァアアア……」
 銃撃を受けたバケモノが大きくよろめく。
 体中から緑色の体液を噴き出し、異形は苦悶の声をあげている。
 未練を振り切るように頭を振り、大樹がバックルから三枚のカードを取り出した。
『DROP』
『FIRE』
『GEMINI』
 手にした銃のスリットにカードを通していく毎に、膨大な魔力が青年の体へと吸収されていく。
 その直後、死に体だった筈のバケモノが腰の装置に手を伸ばした。
「―――っ!? 奴にそれを使わせるな!」
 あれは魔法を扱う者の天敵だ。
 どれだけ強力な魔法であろうと、発動を妨害されてしまってはどうしようもないのだから。
 あの異形が質量兵器で身を固めていたのは、未だ装置が不完全で無差別に魔法を阻害してしまう為なのだろう。
 だが―――大樹はそれすら先読みしていた。
 バケモノが装置に手を掛けるより早く、放たれた弾丸がその体を削り取る。
 結界に閉ざされ物音一つしない公園に、発砲音だけが途切れることなく鳴り響いた。
 畳み掛けるように追撃の銃弾が撃ち込まれ、立つことも出来ずに異形は両膝を着く。
 砕けたスコープの奥で白く濁った瞳が―――気のせいだろうか、何かを期待するように青年を見詰めていた。
『BURNING DIVIDE』
 電子音が淡々と最期の時を告げ、収束した魔力が炎となって大樹の両脚に宿った。
 大地を蹴り、飛び上がったその体が二つに分身する。
「ウェーイッ!」
 前宙をしながら体を180度捻り込み、斧の如く振り下ろされた計四つの爪先がバケモノの体を捉えた。
 体の至る所から黒煙を上げ、周囲を緑色の体液で染めながら異形は仰向けに倒れ込む。
 憑き物が落ちたかの如く、バケモノは何をするわけでもなく沈む夕日を眺めていた。
 蝋燭が燃え尽きるように、荒い息が徐々に静かなものへと変わっていく。
 敵の戦闘意欲が完全に消失したことを確認し、シグナムは短く息を吐いた。
 レーヴァティンを鞘に戻し、何も云わず立ち尽くす青年へ歩み寄る。
「どうやら、終わったようだな。お前には色々と訊きたいことが―――おい、聞いているのか?」
「―――さん」
「……竹中大樹?」
「き……りゅ……さん―――桐生さん!」
 銃を投げ捨て、大樹が唐突に走り出す。
 カード状のゲートを潜って元の姿に戻った彼は、虫の息のバケモノに駆け寄ると信じられない事にその傷だらけの体躯を抱き起こした。
「な―――に!?」
 青年の行動が理解出来ずに固まるシグナム。
 そんな彼女の耳に、涙の混ざった絶叫が届いた。
「桐生さん! 桐生さん!桐生……さん……っ!」
 自分の身が緑の血液に汚れるのも構わず、大樹は何度もその名を呼び続けていた。
 ―――“桐生さん”と。
 シグナムの脳裏を最悪の―――だが、現状考え得る中でもっとも確率の高い推測が過ぎる。
「あ……あれは……ヒトだったというのか……?」
 零した声は微かに震えていた。
 確かに、人間に似た特徴を備えている異形だった。
 だが、それは決して珍しいことではない。
 現に、シグナムを始めとするヴォルケンリッターも人を真似て作られた魔法生命体だ。
 誕生の過程こそ異なるものの竹中大樹もまた然り、である。
 だからこそ、“その可能性”をシグナムは見落としていた。
 一から作り出すこともあれば、元からあるモノに手を加えることも十二分に在り得ることを。
 カチリと、頭の中で最後のパズルの欠片がはまった音がした。
 抱いていた疑問が一気に氷解する。
 最初、どうして大樹があれと戦おうとしなかったのか―――?
 ああ、簡単な事だ。
 戦おうとしなかったのではない、戦えなかったのだ。
 何故なら、彼には判ってしまったから。目の前に佇むバケモノが、かつての仲間だと気付いてしまったから。
 何の対処もせずに桐生の攻撃を受け止めていたのは、彼の償いだったのだろう。
 救えなかったことを、守れなかったことを、青年は己の体を張って詫びていたのだ。
 ならば、どうして突然大樹の態度が豹変し、攻勢に転じたのか?
 そうだ―――考えるまでもない。
 意識を取り戻した彼が最初に目にした光景。
 それが“かつての友が人の命を奪おうとする”瞬間だったとしたら、竹中大樹という男はいったいどういう行動を取るだろうか。
 会って間もない、人間ですら―――生物ですらない自分達を救う為、体を張ったこの男なら……。
「……そうか。お前に決断させたのは―――させてしまったのは、私なのだな」
 新たな悲しみを背負うことを覚悟して、心に深い傷を残すことを承知で。
 自分の手で友の命を絶つことを決断したのだ。
 全ては一人の仲間を救う為に……。
「うわあぁぁぁぁ―――っ!」
 耳を劈(つんざ)かんばかりの大絶叫が、剣の騎士の意識を強制的に引き戻した。
 異形―――否、かつて“桐生”と呼ばれていた男はもう動かない。
 力なく垂れ下がったその腕を、青年が両手で包み込むようにして握っている。
 堪え切れずに溢れた涙の滴が桐生の体に小さな染みを作った。
 証拠隠滅の為の措置だろうか。
 命の燃え尽きた桐生の体が末端から塵となって消えて行く。
 これが同じ人のやることか……!
「…………」
 後に残された男は空っぽになった自分の両手を虚ろな瞳で見詰め―――。
「……うわっ。何だよ、これ」
 悪い夢から覚めたように、手にベットリとこびり付いた緑の血液を見て、そう呟いた。
「―――っ!」
 駆け寄る。
 ダメだ。あのままでは彼は―――大樹は。
 彼が現状を理解してしまう前に、知ってしまう前に、その心がコワレテしまう前に。
 罪の証で染まった青年の手をシグナムは両手できつく握り締めた。
「え!? い、いや、あの、どうかしたんですか!? い、いたたっ!? 痛いですよ、シグナムさん! それにほら、そんなの触ったら汚れちゃいますってば!」
「……すまない」
「謝る前に離れた方がいいと俺は―――」
「本当に……すまない」
 こういう時、いったいなんと言葉を掛ければいいのだろう。
 ただ謝罪の言葉を口にすることしか出来ない自分を、シグナムは心の底から憎むのだった。


「……まだ怪我していた方がマシだった」
 意識取り戻したら緑塗れとか……それなんてイジメ?
 変な臭いする上にベトベトするから拭き取ろうとすれば、シグナムさんに全力で止められちゃうし。
 そのせいで俺の上半身は緑に蹂躙されてしまっている。
 完全に色が服に染み込んじゃっているようなので、口惜しいけどこの服は家に帰ったら処分することにしよう。
 とりあえず、目先の問題は無事に家に辿り着けるか、だけどさ。
 濃厚パセリジュースを手皿で飲もうとして派手に失敗した―――そう云えば、もしかしたら職質は避けられるかもしれない。そう信じたい。
 溜め息など吐きながら、夜道をトボトボと歩く。
 途中までシグナムさんと一緒だったけど、ついさっき別れたから一人ぼっちだ。
 リアルガチ○ピンみたいな男と美女が並び立っていたら、まず間違いなく誤解されるからである。無論、変質者的な意味で。
 それにしてもあの人、ものすごい剣幕だったな。
 何を訊いても「すまない」としか云わないし。
 意識を無くしている時の俺は、いったい彼女に何をしてしまったんだろう? いや、謝られたんだからされたのか。
 家まで送って行くと云って譲らないシグナムさんを説得するのに、だいぶ体力と気力を磨り減らしてしまった。
 本当に何があったんだよ……怖くてチビりそうだ。
 ただ、シグナムさんがとんでもなく落ち込んでいたのだけは判った。
 床置きした豆腐はドタバタでグチャグチャになってしまったわけだが、それにすら気付いた様子もなかったようだし不安―――いや、心配だ。
 今頃、はやてちゃん宅で大騒動が起きていないといいが。
 シグナムさんは生真面目な人だから、些細な失敗でも大事に捉えるからなぁ。
 切腹致す! とかは流石にないと思うけど……思うけど……ありそうだ。
 やたら鮮明なビジョンが脳内で再生されてしまった。
 長剣で腹切りは無謀だと思わないでもないが、あの人ならそれぐらいどうとでもしそうで怖い。
 たかが豆腐一つでと思うかもしれないけど、それでもシグナムさんにとっては命よりも大切な御主人様の頼みなわけだし……。
「買って来るか。色々と手遅れになる前に。だがその前に―――」
 一度家に帰って服を着替えよう。
 咽かえりそうな悪臭に包まれながら、俺は一人寂しく帰宅するのだった。
 また一つお気に入りの服がゴミに……。


 鉛のように重い気持ちを引き摺って帰宅する。
「申し訳ありません、主はやて。遅くなりました……む」
 玄関を抜け、リビングに顔を出したシグナムはソファーにはやての姿が無いことに気が付いた。
 主の所在を確かめようと、台所で夕食の支度をしているシャマルに声を掛ける。
 今夜の夕食は鍋だ。
 テーブルの上にはガスコンロが置かれ、鍋や皿などが並べられている。
「シャマル、訊きたいことがあるのだが」
「あら、遅かったわね。はやてちゃんならヴィータちゃんと一緒にお風呂よ。お夕飯は家族揃って食べなくちゃ美味しくないからって……ふふっ、はやてちゃんらしいわよね」
 訊きたい事柄を告げる前に言い当てられ、シグナムはむぅと呻いた。
 鉄面皮とまではいかないものの、常日頃からなるべく感情を表に出さないよう注意しているつもりだったが。
 やはり、夕刻の一件が響いているのかもしれない。
「……そうか。主はやてが」
 穏やかに微笑むシャマルに、シグナムは力なく苦笑しながらそう返した。
 ―――“家族”。
 大樹とあの“桐生”という男はいったいどういう関係だったのだろうか。
 友人か戦友、それとも家族か。
 どちらにせよ断腸の思いで拳を握り、引き金に指を掛けたに違いない。
 もし……もしもだ。
 もしも、自分が大樹と同じ決断を迫られたのなら……。
 思わず脳裏を過ぎった暗い結末に、シグナムは俯いて下唇を噛んだ。
 自分はヴォルケンリッターの将だ。そうならないよう身命を賭すのが自分の使命だろうに。
「……シャマル」
「どうしたの、シグナム。貴女、顔色が悪いわよ?」
 心配そうに眉を顰め、シャマルがシグナムに近付き顔を覗き込む。
 顔を上げて目を合わせることが何故か躊躇われ、シグナムは俯いたまま顔を逸らした。
「仮に……仮に、だ」
「シグナム?」
「大切な者が何らかの理由で……第三者に危害を加えようとしている。……お前ならどうする?」
「随分と抽象的な問いなのね。……うーん、そうね。状況にもよるけど、止めようとするでしょうね。大事な人同士が傷付け合うのはもう沢山だもの」
 シャマルはあの事件のことを言っているのだろう。
 後に、闇の書事件と称されることになるあの日々。
 長いようで短い、冷たいようで暖かな、生涯決して忘れないだろうあの夜の出来事を。
「……止める方法が―――命を絶つしかないとしてもか?」
「そ、それは……」
 ぼそりと口にしたシグナムの言葉に、シャマルが口を噤む。
 思案するようにしばし沈黙を保ち、ゆっくりと首を左右に振った。
「その時になってみないと判らない、としか答えられないわ。止めるのが正しいことだと頭で理解していても、心がそれに納得出来るとは限らない。はやてちゃんを悲しませると判っていながら蒐集を行うしかなかったあの時のように、わたしはまた道を踏み外すかもしれない」
 道を踏み外す。
 それは大切な者を生かす為に、見ず知らずの他人を見殺しにすると云うこと。
 だが、それは本当に間違ったことなのだろうか? 許されないことなのだろうか?
 大切な人を守ろうとするのは、人として当然のことではないのだろうか?
 ―――“桐生さん! 桐生さん!桐生……さん……っ!”
 彼の発した悲痛な叫びが、苦悶に歪む表情が、シグナムの心を大きく揺さ振っていた。
「……わたしはなんて無力なのだろうか」
 だからだろうか。
 気付けば、胸中に抱えていた疑問が口を衝いて出ていた。
「シグナム、貴女……」
「わたしは、あの男がその手で友を討つのをただ見ていることしか出来なかった。あろうことか……バケモノとあいつの前で口にしてしまった」
 バケモノ。
 蒐集を行う際、幾度も投げ付けられた言葉。
 姿が変わっているとは云え、自分の友をそう呼ばれた彼の気持ちは如何なるものだったのだろうか。
「……シャマル、教えて欲しい。人の心を癒すには―――守るにはどうすればいいんだ? わたしは将だと云うのに、そんなことすら判らないのだ」
 あの時、謝罪の言しか口に出来なかったことを、シグナムは悔やみ続けていた。
 あの状況では全ての行為が無意味なものと判っていながら、それでも何か彼の為に出来ることはなかったのかと思い悩んでしまう。
 それは、彼女がはやてと出会うことによって生じた変化なのかもしれない。
「……シグナム」
 そっとシグナムの頬に手を添え、シャマルは辛そうに目を伏せた。
 生まれた時から烈火の将と一緒に居た彼女には判っていたのだ。
 シグナムが心の中で涙を流していたことに。
 将たる彼女が人前で涙を見せることはない。
 だからこそ。
「……まったく、どうしてお前が泣く必要がある」
 彼女の分まで自分が涙を流すのだ。
 心優しき将が悲しみを一人で溜め込んでしまわぬように。
 苦笑するシグナムだったが、その瞳は優しい色で溢れていた。
 気付いた―――いや、シャマルのおかげで思い出すことが出来た。
 悲しみを肩代わりすることは誰にも出来ないが、分かち合うことならば出来ると。
 ここで塞ぎ込んでいても何も変わらない。
 進んでしまった時計の針が戻ることはなく、死んだ者が還って来ることもない。
 後ろを振り返っている暇があるのなら、一歩でもあの男の先を往こう。
 そして……いつになるかは判らないが、必ずや青年の痛みを共に背負ってみせる。
 手の甲で涙を拭うシャマルに胸中で感謝の言を述べ、シグナムは手に持ったままだった袋を差し出した。
「だが……ありがとう」
「お礼なんて要らないわよ。だって、わたし達……家族でしょ?」
「―――ああ。そうだったな」
「うふふ、そうよ」
 袋を受け取り、シャマルが優しく微笑む。
 その時、元気の良い―――というより、荒い足音が二人の耳朶を打った。
 ドタドタと廊下を走る音が響き、次いで扉が勢いよく開け放たれる。
 そのままシグナムとシャマルの居るキッチンに侵入した小柄な赤い影は、迷う事ない足取りで冷蔵庫へ向かうと中から一リットルの牛乳パックを取り出した。
 腰に左手をあて、注ぎ口に直接口を付けてごきゅごきゅと中身を飲み干していく赤い影こと鉄槌の騎士ヴィータ。
 赤いパジャマを装備して首にタオルを掛け、口の端から牛乳の滴を零す様は見ていてとても愛らしい。
 その様子を半目で揃って見詰めた後、シグナムとシャマルは苦笑を交差させた。
「おかえり、シグナム。帰りが遅いから皆、心配しとったんよ?」
 開け放たれた扉。
 その先で、ザフィーラの背に腰掛けたはやてがシグナムを見詰めている。
 少女の顔には安堵の色がはっきりと見て取れた。
 はやての頬が桜色に染まっているのは風呂から上がってまだ間もないからか。
「申し訳ありませんでした、主はやて」
 向き直り姿勢を正すと、シグナムははやてに深々と頭を下げた。
 戦闘を行っていたと口にすれば、優しい主に要らぬ心配を掛けてしまう。
 なにより、今日の出来事は自分の胸だけにしまっておきたかった。
「ううん、ええんよ」
 無事ならそれで良いと首を左右に振るはやて。
 一方、ザフィーラは不機嫌そうに鼻を鳴らしてみせる。
「主はこう言っておられるがな、シグナム。前もって連絡する術はなかったのか?」
「すまん」
「ザフィーラ、そのへんにしとこ。今日の夕ご飯は鍋や。煮えるまで時間掛かるから、はよ準備せんと美味しいお肉が胸やなくてお腹にくっ付いてしまうよ。それでもええん?」
 苦笑し、はやてが自分のお腹が右手でぽんと叩く。
「お腹ですか?」
 はやての言っている意味がうまく判らず、シャマルが首を傾げた。
 それに対し、少女はニヤリと笑うとシャマルの腹部を注視しながら言った。
「そ。食事の時間が遅うなるとな、脂肪に変わり易くなるらしいんよ。ところでシャマル、最近少しふっくらしてきたんとちゃう?」
「そ、そんな―――っ!?」
「なっさけないなぁ、シャマルは。少しはあたしを見習ったらどうだ? あたしなんか生まれてこの方、一度たりとも体型変わったことないけどな!」
 空になった牛乳パックを足で押し潰してからゴミ箱に投げ入れ、ヴィータは快活に笑ってみせた。
 ザフィーラはその様を横目で一瞥し、胸中で溜め息を吐く。
 はやて家家訓、その十七。
 飲み終えた牛乳パックは切り開いた後に水洗いし、陰干ししておくこと。
 それに思いっきり抵触してしまっていることに気付いたからだ。
(まあ、一度主殿に指摘されれば懲りるだろう)
 牛乳パックに直接口を付けて飲まないもその中に入っているのだが、今回ははやてが見逃しているのでそれは良しとしよう。
 真新しい牛乳にそれを行っていたのなら、こうはいかなかっただろうが。
「ヴィータちゃんに体型自慢されても何故か全然悔しくないわね」
「ちょっと待て! それ、どういう意味だ!」
「……全く。身内同士で争ってどうする」
 騒ぎ始めた二人を一瞥し、シグナムは溜め息を吐く。
 この喧騒を楽しんでいるのか、この面子の中でもっとも発言力のある少女はザフィーラと一緒に鍋の支度をしながらニコニコしていた。
「まあまあ。喧嘩するほど仲がええってな……あれ」
 はやてはテーブルの上に置かれていた袋を手に取り、その中身に目をやって困ったように眉根を寄せる。
 取り出された豆腐は容器が破れ、グチャグチャに潰れてしまっていた。
 “あの者”とは別の敵と戦う際、袋を大樹に預けていたことを思い出し、シグナムは胸中で自身の失態に歯噛みした。
 あの時の自分は普段の冷静さを欠いていたのだろう。
 あれだけの弾幕に晒されていたのだ。中身が無事かどうか確認するのは当然のことだと云うのに。
 消滅していてもおかしくないだけの状況下に在りながら、辛うじてとは云え原型を留めているのは大樹が守ろうとしたからか。
 食べられないことはないだろうが、鍋の具として用いるには少し―――いや、正直なところかなり難しい。
 箸で掴めない大きさになっているのも多く、八神家特製鍋(通称やみ鍋)に入れると高確率で“白い何かの破片”と化してしまうことだろう。
「も、申し訳ありません! すぐに新しいものを買って来ますので」
 慌てて飛び出していこうとするシグナム。
 そんな彼女に待ったを掛けたのは、野菜の入ったボールを抱えたはやてだった。
 残念な豆腐の入った袋は彼女の足になっている守護獣が咥えている。
「あぁ、ええってええって。豆腐が入ってへんと絶対あかんってことないんやから。シグナムに買ってきてもらったこれは、明日にでも白和えにして食べよ?」
「しかし、それでは……」
「はやてが良いって言ってんだからいいだろ? そんなことより早く鍋やろうぜー。このままじゃ腹ペコペコで気絶しちまうかも判らねー」
 シャマルと言い争いをしていたヴィータはいつの間にか自分の席に着いている。
 その手には既に箸が握られており、こちらの戦闘態勢は整っているのだと言外に告げていた。
「ヴィータちゃん、さっきおむすび食べていたじゃないですか」
「あんなので腹膨れるわけないだろ。こっちは育ち盛りなんだ」
 シャマルがテーブルの上に肉を並べるのを眺めながら、ヴィータが口を尖らせる。
 そんな少女を金の髪を持つ癒し手が意味深な瞳で見ていた。
 不幸中の幸いだったのは、彼女の視線にヴィータが気付かなかったことだろう。
「い、いや、やはりわたしが行って来るべきだろう。鍋に豆腐がなければ凄みが出んとも言うしな」
「お鍋に凄みはいらんよ、シグナム」
 渋るシグナムをはやてがやんわりと説得する。
 主に言われてしまってはどうすることも出来ない。
 若干肩を落とし、シグナムは椅子に着いた。
 その時である。
 呼び鈴が鳴り、次いで玄関の扉が数回ノックされたのは。
「お客さん? こんな夜更けに珍しいなぁ」
「はやては夕食の支度してていいよ。あたしが出る」
 持っていた箸をテーブルの上に戻し、ヴィータが立ち上がる。
 事件は解決したとは云え、依然として闇の書―――そしてそれに関わる者に恨みを持つ者は多い。
 彼等が何らかの方法でこちらの居場所を特定し、報復しに来る可能性が残っている以上、はやてを見知らぬ者と二人っきりにするわけにはいかなかった。
 来客にはまずヴォルケンリッターの誰かが対応する。
 それは、彼等の間で結ばれた暗黙のルールの一つ。
 ヴィータが玄関へ小走りに駆けていくのを見送り、シグナムは湯呑みを手に取った。
 彼女が帰る時間に合わせて、はやてがあらかじめ淹れておいてくれたのだろう。
 食事の支度で再び台所に引っ込んでしまった主に胸中で礼を言い、冷めてしまったそれで喉を潤す。
 その直後、玄関から聞こえてきたある名前にシグナムは激しく動揺した。
「な、なんだよ、大樹かよ」
「なんだよって……。いや、まあそういう反応にも慣れちゃったけどさ」
「……っ!?」
 口元を抑え、噴き出しそうになるのを懸命に堪える。
 青年が何を思って八神家を訪れたのかは定かでないが、それに自分が関係しているのはまず間違いないだろう。
 湯呑みを机の上に荒々しく置くと、シグナムは慌てて部屋を飛び出した。
 廊下の先で、青年はヴィータと何か話しているようだ。
 一度家に戻って着替えてから来たらしく、服にあの緑色の血液は付着していない。
 遠目で表情を窺う限り、彼に然したる変化は見受けられなかった。
「……竹中大樹、どうしたんだ?」
 心臓が高鳴り、自然と声が硬くなる。
 歩み寄り声を掛けると、青年はいつもと同じように遠慮がちな笑みを浮かべた。
「あ、シグナムさん。すみません、こんな時間に」
「い、いや、それは別に構わないんだが……大丈夫なのか?」
「あー、正直言うと、まだちょっとだけ痛むんですけどね。でもまあ大丈夫です。こういうの慣れてますから」
 自分の胸に軽く右手をあて、大樹は寂しそうに笑ってみせた。
 ―――胸が痛い。
 それは、先の戦闘で負った怪我のことを言っているのではないんだろう。
 慣れていると大樹は言った。
 自分が傷付くことに慣れているのか、それとも仲間を失うことに慣れてしまったという意味なのだろうか。
(嘘をついてまで自分の弱さを隠そうというのか、お前は)
 真実を隠し、痛みを押し殺し、自身の感情を偽り。
 そんな彼の行きつく先には、いったい何が待ち受けているのだろうか?
「……え、えっと、これどうぞ」
「これは……?」
 青年が後ろ手に持っていた袋を受け取り、首を傾げる。
 中を覗き込めば、二丁の豆腐が視界に飛び込んできた。
「絹越しだったのか木綿だったのか判らなかったので、とりあえず両方買っておきました。今更言うのもあれですけど、俺の不手際で豆腐をダメにしちゃって本当にすんませんでした」
 眉根を顰め、申し訳なさそうに頭を下げる青年。
 一瞬、シグナムは彼が何を言っているのか理解出来なかった。
 綿に水が染み込むように、ゆっくりと大樹の発言が彼女の頭に浸透していく。
 そしてしばし間を置いたあと、ぽつりとこう漏らした。
「お前という男は本当に……」
 ……まったく。
 傷付いたのも、泣きたいのも、この男の方だと云うのに。
 不意に、ヴィータが以前、大樹のことを「あれはもう、お人好しを通り越して馬鹿の域だ」と云っていたのを思い出した。
「ほ、本当に?」
「馬鹿だって言いたいんじゃねーの」
 不貞腐れたようにそう零すヴィータに苦笑を投げ掛け、シグナムは万感の想いを込めて言った。
「ああ……馬鹿だな。世界一の大馬鹿野郎だ」


 徒歩だと遠いな、はやてちゃんの家は。
 コンビニで豆腐を買うのが何故か躊躇われ、専門店に足を運んだまでは良かった。まだ良かった。
 問題は、シグナムさんの購入した豆腐が絹漉しか木綿か判らなかったことである。
 結局、両方買うことになったわけだが……意外と高いのね、お豆腐って。
 一丁六十円くらいでしか買ったことない俺にとって、一丁三百円は未知の領域だったとだけ記しておこう。
 気付けば油揚げも一緒に買っていたのは、もはやこの行為が日常の一部としてインプットされているからだろうか。
 ちなみに、これも高かった。近所のスーパーなら五枚はくるだろう値段で一枚しか買えないぐらい高かった。
 服も買わないといけないのに、どうしてこう出費ばかりかさむのだろう。
 二丁+αを入れた紙袋を手に、薄暗い夜道をトボトボと歩く。
 途中、ちょっとしたハプニングと遭遇したりもしたが、何とか五体満足ではやてちゃん宅に到着することが出来た。
 呼び鈴を鳴らし、ついでにドアもノックする。
 そのまま少し待っていると、扉が開いて見慣れた顔がぴょこんと飛び出した。
「こんばんは、ヴィータちゃん」
「な、なんだよ、大樹かよ」
 俺みたいなのが夜更けに訪ねてくるとは思ってもいなかったのか、あからさまに顔を顰められてしまった。
 確かに怪しいよなぁ、小学生の女の子の家を夜に訪ねる男とか。警戒されてもおかしくはない。
 開口一番に「帰れ変態」とか言われないだけまだマシだろう。
 出会った当初の時は、それぐらいの台詞吐かれても違和感ないほど嫌われていたんだよな、今思えば。
「なんだよって……。いや、まあそういう反応にも慣れちゃったけどさ」
 ただ、一応は顔見知りなのだから、そういう反応されるとちょっと傷付く。
 見たところ、ヴィータちゃんはお風呂上りのようだ。
 桜色に染まった頬と赤いパジャマがマッチしていてとても愛らしい。
 まあ、例えそれを褒めたところで、子供扱いするなと怒られて終わりなわけだが。
 相手が大人だろうが子供だろうが、女心というやつだけは一生かけても理解出来ない気がする。
「で、何の用だよ?」
「いや、シグナムさんに野暮用がありまして」
 今日の一件でシグナムさんにはたくさん迷惑を掛けたからな。しっかりと謝っておかないと。
 出来ることなら、どうして俺が緑塗れになっていたかも訊きたい―――いや、やっぱり止めておこう。
 聞いたら聞いたで絶対に後悔するだろうし。
「シグナムに?」
 訝しむように、ヴィータちゃんの片眉が釣り上がる。
 青い切れ長の瞳が射抜くように俺を見詰めていた。
 ……まずい。怒ってる。
 あれか、ウチのシグナムに要らんちょっかい出してんじゃねーぞゴラァとかそんな感じか。
 この前、エイミィと冗談混じりに話していたっけ。
 将来、はやてちゃんをお嫁さんに貰う人は色んな意味で大変だね、と。
 はやてちゃんに認められるのは勿論の事、気難しい四人の騎士様を命懸けで説得しなけりゃいけないのだから。
 シャマルさんはフォローに回ってくれるかもしれないけど、ヴィータちゃんとシグナムさんがなぁ。難攻不落というか何というか。
 良くも悪くも仲間意識が強過ぎるのだと、クロノ君は言っていた。
 で、話の流れ的に空気読んで同意していたら、「貴方は彼等の更に数段階上を行っている。自覚していますか?」と睨まれたんだよ。
 時折、他の皆と話が繋がっているようで実は繋がっていない時があるから怖い。
「う、うん。色々と迷惑を掛けちゃったからね。ちゃんと謝っておかないと」
 若干気圧されながら愛想笑いを浮かべる。
 ヴィータちゃんは相変わらず、不機嫌そうな顔をしたままだ。
 さあ、いよいよまずくなってきたぞ……。
 いっそ、ヴィータちゃんに豆腐渡して帰った方がいいんじゃないだろうか。
 俺が逃げ腰になったその時だった。
 足音が聞こえ、開かれた扉からもう一人の人物が顔を出す。
「……竹中大樹、どうしたんだ?」
 助かった。シグナムさんだ!
 シグナムさんは別れた時と同じ服装のまま、やたらと真剣な表情で俺を見詰めている。
「あ、シグナムさん。すみません、こんな時間に」
「い、いや、それは別に構わないんだが……大丈夫なのか?」
 ……大丈夫なのか?
 あー。あれだ。あの公園の一件で軽傷とは云え、怪我しちゃったからな。それのことを言っているんだろう。
 自前の治癒魔法でどうにかなるレベルの怪我だったけど、実は今でも少し痛かったりする。
 その理由が、俺の魔力が低過ぎて完治する前に魔力が尽きちゃった、なのだから笑えない。
 下手に強がってもどうせ見破られるだろうし、ここは素直に話しておいた方がいいか。
 同じことを二度言うのもどうかと思うが……相手が違うしな。
「あー、正直言うと、まだちょっとだけ痛むんですけどね。でもまあ大丈夫です。こういうの慣れてますから」
 最後の件で強がってしまったが、嘘は言っていない。
 痛みの耐性に定評のある俺である。両腕両足の骨が折れて尚、短時間とは云え意識を保っていた頑強さは伊達じゃないのだ。
 だけど……もう少しオブラートに包むべきだったのかもしれない。
 シグナムさんもヴィータちゃんもやたらと悲しそうな顔をしているのである。
 いつもこうだ。
 勇気を出して真実を告げれば、ほぼ間違いなく裏目に出る。
 なんか変なものでも憑いているのかもしれないな、今度久遠の飼い主さんにお払いしてもら―――うわけにはいかないか。
 悪霊は兎も角、フェイトのお姉ちゃんに影響があったら大事である。
 アリシアは大切な家族だ。なにより、彼女になにか遭ったらプレシアさんに殺されてしまう。
「……え、えっと、これどうぞ」
「これは……?」
 暗い空気を吹き飛ばすべく、後ろ手に持っていた袋をシグナムさんに押し付ける。
 よく考えたら、俺がここまで足を運んだのはこの為だった。
 これ以上余計なことを言って雰囲気が悪くなる前に、やることをやってとっとと退散しよう。
「絹越しだったのか木綿だったのか判らなかったので、とりあえず両方買っておきました。今更言うのもあれですけど、俺の不手際で豆腐をダメにしちゃって本当にすんませんでした」
 怒られるかと思ってビクビクしていたけど、むしろシグナムさんは俺のことを心配してくれていた。
 判っているんだ、シグナムさんが優しい人だってことは。
 ただ、どうしても斬り捨てられた時の痛みが脳裏をチラついて萎縮してしまう。それだけなのだ。
「お前という男は本当に……」
 そして、ビクついていたのがまたバレると。
 呆れるようなシグナムさんの視線が硝子の心に突き刺さる。痛い。
「ほ、本当に?」
「馬鹿だって言いたいんじゃねーの」
 戦々恐々としながら尋ね返すと、ヴィータちゃんにそう断言されてしまった。
 頭が良いと思ったことは数えるくらいしかないが、それでも面と向かって馬鹿と云われたら切なくなる。
 ま、まあ、シグナムさんは大人の女性だからオブラートに包んだ物言いをしてくれる筈だ。
「ああ……馬鹿だな。世界一の大馬鹿野郎だ」
 ……何だろう、このデジャヴは。
 何故か誇らしげにそう告げられ、俺は愛想笑いのなり損ないを浮かべたまま固まるしかなかった。


~その後のお話~

「折角ここまで来たんだからさ、夕飯食べてったらどうだ? はやての鍋はギガうまだぞ?」
 さっきまで怒っていたかと思えば、今度は唐突に食事に誘われた。
 慣れていないことをすると、また色々と要らぬ言動をしてしまう恐れがあるので丁重に断っておく。
「い、いや、家族団欒を邪魔するわけには行かないよ」
「まあ、そういうな。あの一件に関わった者は皆家族のようなものだ。お前が参加してくれた方が主はやてもお喜びになるだろう」
 シグナムさんはてっきりヴィータちゃんを窘めてくれるかと思っていたが、俺の予想に反して勧誘側に回ってしまった。
 そりゃあ確かに、しょぼんとするヴィータちゃんを見ていると俺の鋼の心も揺らぐけどさ。
 こうなると、もはや俺に抵抗出来る余地は残されていない。
 ヴィータちゃん一人なら何とかなるけど、シグナムさんは無理だ。この人には逆らえる気がまるでしないのである。
「そ、そうですか。判りました。ご馳走になります」
 敗北感をひしひしと感じながら、頭を下げる。
 途端、ヴィータちゃんの顔がぱぁっと輝いた。
 ついさっきまで土砂降りだったのに今は快晴。まるで秋の空のようだ。
「へへへ、そうと決まれば善は急げだ! あたしははやてに伝えてくるからな! シグナム、このブースト馬鹿を逃がすんじゃねーぞ!」
 愛らしい笑顔に似つかわしくない捨て台詞を吐き、ヴィータちゃんが軽快な足音を立てながら家の中に引っ込んでいく。
 それはそうと、二人だけの時は兎も角、他の人が居る時にブースト馬鹿というのはやめて欲しかった。
 まだ大馬鹿野郎の方が幾分かマシ……いや、どっちもどっちか。
 シグナムさんに案内されるようにして、はやてちゃんの家に足を踏み入れる。
 う、うわぁ。そういや、女の子の家に入るのってこれが初めてじゃなかろうか。
 意識するとやたら緊張してきたぜよ。い、いかん。口調も変になり始めた。
「すまない。口は悪いが、ヴィータも悪気があるわけじゃないんだ。許してやってほしい」
 ―――何度注意しても聞かなくてな。
 そう言って、シグナムさんは小さく肩を竦めてみせた。
 改めて見るとやっぱり綺麗な人だよな、この人。
 今は俺の数歩前を歩いているから後姿しか見えないけど、なんて云えば良いんだろう?
 一挙手一投足に品が出ているというか、凛々しさが滲み出ているというか。
 ―――っと、いけない。見蕩れていた。
 いつまでも黙っていたら俺が気分を害していると思われるかもしれない。
「ヴィータちゃんが良い子だってことは判ってるから大丈夫ですよ。あ、あとで電話貸してもらえますか? アリシアに帰りが遅くなるって言っておかないと心配するんで」
 アリシアもガルウイングも食事を取る必要がないからあれだが、後者は兎も角、美少女幽霊ちゃんはなにかと心配性だから連絡しとかないと後で怖い。
 そういうところは妹のフェイトちゃんとよく似ている。流石は姉妹といったところか。
 問題は霊体のアリシアが受話器を取ることが出来るか―――なのだが、そこはあいつがどうにかするだろう。
 なんたってあのエイミィをして、「一緒に居るだけで謙虚になれる」と云わせるぐらいふざけた仕様のデバイスもどきなのだから。
「ふむ、それもそうだな。わたしから主に言っておこう」
「すみません。助かります」
 さっきから頭下げてばかりのような気もするけど……実に俺らしいな。うん。
 シグナムさんの言葉を聞いて思い出したが、ここははやてちゃんの家なんだよね。
 ヴィータちゃんは自分の家のように振る舞い、尚且つ部外者を夕食に招待しちゃっているがこれは良いのだろうか?
 あのはやてちゃんのことだから、自分の家だと思っていてくれる方が嬉しいのかもしれないけれども。
 頭の中で、音を立てて食べないように気を付けようやら迷い箸にも注意しないとやら考えていると、前を歩いていたシグナムさんが不意に振り向いた。
「……大樹」
「はい?」
 反射的に返事をしたが、何だろうかこの妙な違和感は。
 その理由を胸中で考えていると、シグナムさんは俺の目を真っ直ぐ見詰めて言った。
「今しばらくの間だけ待っていてくれ。じきに追い着く」
「はぁ。……あれ? 今、俺のこと名前で呼びませんでしたか?」
 彼女の言っている意味が判らずに首を傾げ―――そこでようやく先程の違和感の原因に気が付いた。
 シグナムさんは俺のことをフルネームで呼ぶ。なのはちゃんのことも確かそう呼んでいた筈だ。
 例外はフェイトちゃんか。彼女のことだけは、“テスタロッサ”と呼んでいた記憶がある。
 それが名前のみに変化した、と。
 豆腐を持っていったことで若干親密度が上がったんだろうか……。
 また更に謎が増えてしまった感があるが、そんな俺でも判ることが一つある。
 そう、それは―――。
「フッ……さあな」
 シグナムさんが微笑む姿はとても神秘的で―――すごく綺麗だったということだ。




別窓 | リリ勘 | コメント:2 | トラックバック:0
<<明日勘。第一話。 | 後悔すべき毎日 | リリ勘。シグナム編。その三。>>
この記事のコメント
感謝!
ネクオロさん、ありがとうございます!

シグナム編、気になって仕方なかったんですよ!

続編の方も読ませていただきました。
自分としては、ネクオロ様は勘違い系のトップランナーと勝手に思わせていただきながら、これからも楽しみにしてます!


というか桐生さん……あの人も、何かが違っていれば仮面ライダーの一人として人間のために戦ってるはずだったんですよね……。
その遺志は橘さんに受け継がれたわけですが、あれはあれでカッコいい人でした。


追伸:拍手の方も読ませていただきました!
深まる久遠の勘違いに吹きました(笑)
っていうか、なんか心霊スポットみたいな扱いですね、公園(笑)
2010-04-11 Sun 01:03 | URL | ミッキー #OekWInOo[ 内容変更]
No title
何度読み直しても印象深いです。
原作のシーンを知っている立場からすると熱いシーンですし、
シグナムの立場を想像するとすごく重いシーンですよね。

そして何も知らない主人公のすれ違いっぷりが笑えます。
どんだけ置いてかれてるんだ、君w
2010-11-02 Tue 20:57 | URL | ジェイエックス #caNc8M12[ 内容変更]
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